弥勒法師の災難








  それはそれは月が雲に隠れてぼやけた夜であった。

  そんな夜、旅の途中に運よく温泉を見つけたので、犬夜叉一行は一日の疲れを取ることになった。

  「犬夜叉、今夜という今夜は法師様を見張っていてね」

  珊瑚にきつく釘を刺されていた盟友を尻目に、法師の弥勒はその言いつけを破ろうとしていた。

  「おい、大丈夫なのかよ」

  横で犬夜叉が面倒くさそうに問う。

  鉄砕牙を抱いて座る犬夜叉は、珊瑚からのきつい言いつけを守るべく、不審な行動を取ろうとしている

  弥勒に対して忠告した。

  しかし、当の弥勒は知らん顔。

  「どうなっても知らねぇぞ」

  「見つからないようにうまくやりますよ」

  弥勒はいそいそと、かごめと珊瑚が入る温泉へと足を運んだ。





  そんな弥勒を諌めるためか、神から罰が下った。

  「・・・おかしいですねぇ」

  道に迷ったのである。

  その辺りは決して、うっそうとした林の中ではないのに。

  溜め息交じりにあちこちを行ったり来たりしていた弥勒は、やがて、背後で水音を聞く。

  「おお、天の助けか」

  道を与えられたことへか、目的達成に光が射したからか、弥勒はそうつぶやき、

  音がしたほうへ歩いていった。

  弥勒が見つけたのは滝であった。

  決して大きな滝ではない。

  だが、水飛沫が美しく感じられた。

  と、遠目に泉から誰かがあがった。

  「あっ・・・」

  弥勒は息をのんだ。

  泉の中から出てきた者は、天女であった。

  絹のような長い髪の毛が艶やかな背中を濡らし、あちこちにはねる水飛沫が天女の間だけ

  神々しく映っていた。

  「なんと美しい・・・」

  弥勒はもう二、三歩進んで天女の顔を確認しようとした。





  「おい、弥勒!風呂、入れってよ!」

  先程、火の元に置いてきた犬夜叉の声がした。

  一瞬の躊躇が、弥勒から好機を奪った。

  天女はそこにいなかったのである。

  「弥勒。ここにいたのか。・・・って、何かあったのか?」

  「い、いえ、犬夜叉、なにも」

  苦笑まじりに否定する弥勒を訝しげに見て、犬夜叉はきびすを返した。

  「ほら、行くぞ」

  弥勒はもう一度滝のほうを見つめた。

  天女どころか何もいない。

  「惜しかったな。あんなに美しいおなごは今まで見たこともなかったのに」

  残念そうに首をたれて、弥勒は犬夜叉のあとを追った。




                * * * * *




  しかし、弥勒にまた好機がめぐってきた。

  前日野宿した場所からさほど離れていない村にたどり着いたが、そこで用を頼まれ、しばらく

  留まることとなった。

  つまり、そこから一人で滝まで行けば、天女に会えるかもしれない。

  弥勒はその夜、早速実行した。

  「ちょっと所用がありまして、出てきますね」

  「まさか地主様のところじゃないだろうね?」

  部屋のふすまを開けて外に出ようとした弥勒を、珊瑚のいんぎんな声が止めた。

  昼間に村案内をしてくれた地主には、年頃の娘がいた。

  そのことを、珊瑚は心配しているのである。

  「まさか。違いますよ」

  うろたえることなく答える弥勒に、珊瑚はいつものように、「本当に?」と怪しむ。

  「当たり前じゃないですか。私には珊瑚一人しかいないのに」

  と、珊瑚の手を握って諭したあと、弥勒はそそくさと滝までの長い距離を歩き始めた。





  「ありました。ここですね」

  弥勒は目的の滝までたどり着いた。

  辺りは、昨夜自分が着いた時より明るい。

  天女はまだいなかった。

  「あの天女様のことだ。日が沈んでから現れるに違いない」

  弥勒は自信満々にふんで、しばらく木陰に隠れて待つことにした。

  辺りは風もなく、風邪を引く心配がない。

  小半時して、木々がこすれる音が弥勒に届いた。

  「きた!」

  目を凝らして滝を見つめる弥勒の肩に、熱い何かが触れた。





  「弥勒、おめぇ、何してんだこんなところで?」

  「い、犬夜叉!!」

  予想外の訪問者に弥勒の声が裏返った。

  「あ、いや、別に・・・」

  「ふうん。これが法師様の所用ねぇ」

  「珊瑚!」

  犬夜叉の隣に目の釣りあがった珊瑚が立ち並ぶ。

  「あれぇ、こんなところに滝があったんだ。昨日は温泉につかってたから気が付かなかった」

  「ほんとじゃ、かごめ。明日晴れたら泳ぎに来たいのぉ」

  一触即発状態の二人をよそに、かごめと七宝は奥に進んで滝を見ようとした。

  「い、いけません、かごめ様、七宝!」

  思わず弥勒が声をかけてしまい、珊瑚に問い詰められた結果、白状したことはお分かりであろう。





  「天女の滝ね。いるんだ、やっぱり」

  「何をしているのかと思ったら、こんなくだらねぇことやってたのかよ」

  「どおりで昨日は覗きに来なかったのね」

  「女と聞くとめざといのぉ、弥勒は」

  四人に言いたい放題言われながらも、誰も「帰ろう」と言わないので、弥勒はある意味安堵した。

  結局弥勒につき合わされて、四人も木陰に座り込んで天女に正体を暴こうというのだ。

  天女はいつ現れるのかわからない。

  しかし、四人も好奇心が沸いたのか、滝のほうを気にしながらしゃべくっていた。

  と、犬夜叉が身震いした。

  「どうしたの、犬夜叉?」

  かごめが不思議そうに問う。

  「いや。なんか・・・いやな予感がする」

  「今更帰るなんてなしですよ」

  弥勒に釘を刺され、犬夜叉は思わず黙り込んでしまった。

  二の句を考えているうちに、今度は七宝から声が上がる。

  「おい。向こう岸のほうで、何か動いたぞ」

  いち早く弥勒が反応した。





  向こう岸から現れたのはまさに、襦袢ひとつ身にしただけの、天女であった。

  「あ、あれです!私が昨晩、見かけた天女は」

  全員が目を凝らして見ていると、天女は昨晩、弥勒が見たときと同じように泉の中に入っていった。

  しばらくの間、まるで水の流れを楽しむかのように、泉の中で泳いでいる。

  と、急に水飛沫が上がった。 

  天女が姿を現し、長い絹のような髪の毛をかきあげる。

  「綺麗・・・」

  見つめる珊瑚が思わずつぶやいてしまった。

  「私がつい魅入ってしまった理由もわかるでしょう、珊瑚」

  「許したわけじゃないからね、法師様」

  ついつい悪乗りしてしまった弥勒を珊瑚が諌めたその瞬間、天女が右手をかざし、

  五人がいる方向へ妖気を放ってきた。

  「お前ら、よけろ!」

  犬夜叉の掛け声に従って、全員が横倒しになる。





  「いったぁい!」

  「今のって、あの天女からだよね」

  「私達が襲われる理由などありましたっけ?」

  「全く。弥勒が覗き見なんかしているからだぞ!」

  五人が隠れていた辺りの木々は、みんな天女の攻撃で切り倒されてしまった。

  衣服や体が傷つかなかっただけ救いである。

  「ありがとう、犬夜叉。大丈夫?」

  かごめが傍にいたはずの犬夜叉を呼んだが、返事がない。

  「犬夜叉?」

  かごめがキョロキョロと辺りを見回していると、一人こっそり帰ろうとしている犬夜叉を、奥のほうで

  発見した。

  「ちょっと、犬夜叉?!」

  かごめが追いかけようとした。





  「ほう。人間には女の湯浴みを覗き見る悪癖があると聞いたが、まさか妖怪の水浴びの

  覗きをも好むとは」






  低い声と水飛沫が落ちる音を聞いて、かごめ含む四人が振り返ると、そこには天女

  ならぬ者がいた。

  「せ、殺生丸?!!」

  全員が口を大きく開けて呆然となった。

  一番驚いたのは、見てのとおり、絶世の天女だと思っていた人物が男だったと知った、弥勒本人であった。

  「つ、つまり、弥勒様が見たがっていた天女って・・・」

  「だから言ったろ、いやな予感がするって」

  右手で頭を抱えて、犬夜叉が脱力した。

  「殺生丸様!りん、手ぬぐい持ってきたよ」

  反対岸から殺生丸が連れている人間に娘、りんが駆けてきた。

  「りんちゃん?!どうしてこんな所に?」

  かごめの訝しげな声を聞いて、これ幸いと、弥勒が殺生丸を揶揄しかかった。

  「こんなに幼い娘を夜、しかもご自分の湯浴みに連れてくるとはどういうつもりです、殺生丸?」

  皆の関心を殺生丸をべく、ほのめかした弥勒だったが、りんにあっさりと答えられてしまう。

  「右手を洗えないからりんが手伝ってるだけだよ」

  りんの声に邪心のかけらもなく、どころか健気さが伝わってきた。





  「ねえ。ここに二人のほかに、人間や妖怪は来なかったの?」

  かごめの問いに、りんが笑顔で答えた。

  「りんと殺生丸様だけだよ」

  「ということは、つまり、弥勒様って、殺生丸を天女だと思い込んできたんだよね」

  「かごめ様!それは誤解であって・・・」

  「法師様って、悪趣・・・」

  「珊瑚!誤解ですってば!」

  いくら弥勒が弁解しても、信じてくれる者はいなかった。

  それどころか、殺生丸にも蔑みの眼差しをくらってしまった。






  しばらくの間、どんなに弥勒が言い訳しようとも、弥勒に対するみんなの眼差しが痛かった。

  つまりこれは、弥勒法師の災難。

















  紫堂流揮様が、サイト開設祝いに、と配布されていた小説を頂いてきました

  すっごく面白いです^^




  


 

 

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